プロジェクトの背景
近年、オリンピックや移民の増加などもあり、日本社会では言語的・文化的多様性に対する認識が高まりつつあります。これは日本だけではなく、世界でも人々の移動の増加を受け、多様な人々や言語活動に対する理解、そして教育への応用の必要性が認識されつつあります。
このページでは、本プロジェクトの背景となった英語教育や日本語教育の分野における「言語」や「話者」を見る新たな枠組みの議論について紹介します。
World Englishes
英語使用の世界的な拡大を発端として、英語という言語の多様性に対する認識が高まり、そして様々な英語が及ぼす影響に関して議論を深める必要性が指摘されるようになりました。そのような流れから生まれた代表的な枠組みとして、「World Englishes」、「English as an International Language」、「English as a Lingua Franca」という3つの枠組みが挙げられます。ここでは、その中でも中心的で、広く議論されているWorld Englishesについて紹介します。
World EnglishesはEnglishesという複数形からもわかる通り、英語という言語が一つのものではなく、「英語」とされる言語の中にも多様性があることを指摘しています。Kachru(1983)は、World Englishesという枠組みの中で旧宗主国(イギリス)と旧植民地の関係性に焦点を当て、内円(inner circle)、外円(outer circle)、拡大円(expanding circle)から構成される同心円モデル(Circles of English)を提示しています(図1)。
図1 Circles of English(Crystal,1995を基に作成)
World Englishesの議論においては、インドやシンガポールなど特に外円の国々(旧植民地)における英語変種の記述と分析を行なっています。そして、それらの英語変種が各地の共通言語としての機能を果たしているという事実から、一般的に標準とされる内円(旧宗主国)の英語変種と同様に、それぞれの変種を正統な英語として捉えるべきであると主張しました。World Englishesの議論は、「English as an International Language」や「English as a Lingua Franca」といった枠組みとともに、様々な言語変種を切り口として、その話者間に存在する様々な不平等に目を向けてきました。そして,母語話者や標準語といった規範に基づいた言語観や言語教育観を批判的に再検討するきっかけとなっています。
〈参考文献〉
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Crystal, D. (1995). The Cambridge encyclopedia of the English language. Cambridge: Cambridge University Press.
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Kachru, B. B. (1985). Standards, codification and sociolinguistic realism: The English language in the Outer Circle. In R. Quirk and H. G. Widdowson (eds.), English in the world: Teaching and learning the language and literatures, 1-30. Cambridge: Cambridge University Press.
Translanguaging
かつて個人の認知能力は容器のように捉えられ、単言語話者と同じ容量の中に複数の言語を入れるバイリンガルや多言語話者は、認知的に劣っていると考えられていました。しかし、近年、応用言語学分野では「Translanguaging」(García and Li Wei, 2014)という概念が普及しつつあります。Translanguagingでは、多言語話者の言語能力を言語A、言語Bというように個別に理解するではなく、言語レパートリー(linguistic repertoire)もしくは個人言語(idiolect)という不可分の一つの総体であると考えます(図2;García & Li, 2014)。
図2 従来のバイリンガリズムとトランスランゲージングとの違い(García and Li Wei,2014を基に作成)
例えば、コミュニケーションの際、多言語話者はどれか一つの言語に依拠するのではなく、状況に応じて「言語」という総体を活用しコミュニケーションを行っています。つまり、多言語話者の内面においては各言語を区別しておらず、自身が持つ言語資源を最大限に活用し、コミュニケーションを遂行していると考えます(García and Li Wei, 2014)。このように考えることで、従来は否定的に捉えられがちであった複数の言語を混ぜて使うという行為も、それぞれの言語が不十分である、もしくは使い分けられないために起こる現象ではなく、多言語話者がコミュニケーションを実現するための効果的で自然、そして、創造的な方法であると肯定的に捉えられます。この点で、Translanguagingは、多言語話者の言語能力を積極的に評価し、「言語」を活用した多様なコミュニケーションを後押しすることができると言えます。
〈参考文献〉
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García, O., & Li Wei. (2014). Translanguaging: Language, Bilingualism and Education. New York: Palgrave Macmillan.
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Otheguy, R., García, O., & Reid, W. (2015). Clarifying translanguaging and deconstructing named languages: A perspective from linguistics. Applied Linguistics Review, 6(3), 281–307.
やさしい日本語
日本語教育分野においても、地域差や性差といった母語としての日本語内における変種や多様性ではなく、非母語話者との関係性の中での日本語の多様性が論じられるようになってきました。その一つに「やさしい日本語」が挙げられます。やさしい日本語は当初、阪神淡路大震災の経験をもとに、地域に住む外国人に対しての災害時の対応のために考えられたものですが、現在は災害時だけではなく、より広く地域における日本語教育や外国人の受け入れというコンテクストで議論がなされています。
より広義のやさしい日本語を考えた際、庵(2013,2019)は地域の外国人などマイノリティへの言語保障という観点から、以下の3つの性格があると述べています。
1)補償教育の対象としての側面
2)地域社会における共通言語としての側面
3)地域型初級の対象としての側面
その議論の中では、言語的、文化的な多様性が増す地域におけるコミュニケーションを考えたときに、英語や通常の日本語ではなく、やさしい日本語が現実的な選択肢になることを指摘し、「マインド」という言葉を用いてマジョリティ側の意識を喚起する必要性を指摘するとともに、その中で扱う文法項目を提案しています。
やさしい日本語という概念の提案は地域における外国人受け入れを考えた際に、コミュニケーションや情報伝達のしかたについて意識を高め、具体的に議論をした上で、受け入れを推し進めていくという点で有用であると言えます。近年では、災害時にメディアが積極的に使用しており、やさしい日本語とともに、それを必要とする人たちの存在に対する認識も広がってきていると言えます。
〈参考文献〉
庵功雄・イヨンスク・森篤嗣(編)(2013)『「やさしい日本語」は何を目指すか―多文化共生社会を実現するために』ココ出版
庵功雄・岩田一成・佐藤琢三・栁田直美(編)(2019)『〈やさしい日本語〉と多文化共生』ココ出版